先週、図書館に予約していた「天才を殺す凡人」という本がまわってきました。
たしか、書店で表紙を見て面白そうだと思い、ほとんど内容を確認することなく予約したのだと記憶しています。読んでみると、刺激的なタイトルに比べると温かいというか、ほっとするストーリーに仕立てた小説形式のビジネス書でした。

 タイトルには「天才」と「凡人」しか出ていませんが、もうひとつ「秀才」を加えた3タイプに人を分類し、それぞれに「創造性」「共感性」「再現性」という才能を割り当てていました。
(はっきりと3種類の人間に分かれるという意味ではなく、一人の人間の中にもこの3つの要素があるという文脈です。興味がある方は、ぜひ読んでみてください)

で、その再現性。

 効率よく、失敗なく、ビジネスを進めていくには大切な要素です。たとえばメーカーが素晴らしい試作品を仕上げたとしても、それを大量生産できる仕様に落とし込めなければ売上を大きく伸ばすことはできないでしょう。ヒット商品を生み出す開発プロセス、優れた人材を育成する教育メソッド・・・etc. 何につけても、良かったことはもう1回、いや、何度でも、繰り返せたほうがいいように思えます。

 子どもたちに作文を教えるときも同じで、「たまたま上手く書けた」というところで満足してしまったのでは、受験突破などの目標に照準を合わせることはできません。ですから、何度書いても花マルがもらえるよう、再現性の高い書き方を教えることになります。たとえば、起承転結というスタンダードな構成を教えたり、主述のある文章を適切な接続詞でつないでいくというルールを覚えてもらったり・・・というふうに。

 ただ、たまに生徒さんが(とくに中学生より上になると)、型からはみ出た魅力的な文章を書いたり、逆に、型通りにしようとしたために自分の思っていることが表現できずに困惑していたりといった状況に出くわすことがあります。さきほどの本に照らすなら、創造性が芽を出したことで再現性の枠からはみ出てしまったような状況でしょうか。

 先輩講師に相談すると、まずは型通りに教えることを勧められました。
ちょっと・・・モヤッとします。
 講師のふるまいとしては、それが正解。秀才に導く教え方です。一方で、文章表現を商売道具として20年以上使ってきたライターとしては、生徒さんによっては、思い切って型破りな書き方を伸ばしていく道もあるのではないかと思ってしまうのです。次に別のテーマを与えたらダメダメな文章を書いてくるかもしれないけれど、それは受験という目先の目標を突破するには不都合なことかもしれないけれど、再現性のない面白さを何度でもゼロから“創造”できるようになれば、それは圧倒的な武器になるはず。その可能性を捨ててもいいのかなぁと、葛藤してしまいます。

 そんなときは、教える側の私が「秀才」や「天才」の目線からではなく、「凡人」の目線から考えてあげるといいのかもしれません。どちらの文章に、より強く共感できるだろうか、と。
 そして、受験に照準を合わせるなら再現性を高めることが大事だけれど、長い人生を自分らしく歩んでいくには、型を敗れる創造性こそが力を発揮してくれることもあるのだということを、大人として伝えてあげたいなぁと考えています。まだいまは、「先生、何言ってんの?」と思われるかもしれないけれど、ずっとずっと後になってからでも、「あぁ、そういうことか」と腑に落ちる日がきて、「言葉を学んでおいてよかったな」と感じてもらえたら嬉しいですね。

 私自身、長く仕事を続けている媒体の記事を書きているとき、ふと「ワンパターンになっているかも」と不安になることがあります。編集さんにしてみたら、それが安心感につながっているから発注してるんですけど!?って話かもしれませんが、ときどき「ガラッと違う切り口で書いてみたい」という誘惑にかられることがあります。せっかく出てきたモチベーションですから、

生徒たちは、試験以外のシチュエーションで(ラブレター、とか?)
私は、担当媒体以外のシチュエーションで(このブログ、とか)

発揮すればいいのかも。言葉を使えるフィールドは、自分が思っている以上に広いはずですから。