差異をたのしむ余裕がほしい

すっかり更新が滞ってしまいました。
単に私がサボりなことが最大の原因ですが、
外部環境に左右されたところもあります。

殺伐とした事件が多く
その事件に対する意見がネット上に溢れだし
その意見に対する異論反論がヒートアップして
ポストした人もコメントした人も読んでいるだけの人も
傷ついたりモヤッとしたり・・・。

そういう空気がしんどくなって
自分の思いを書くのをやめていました。

閉じた空間であるfacebookに日常の出来事を書き留めたり
よくぞ言ってくれました!というコメントをTwitterで拡散したり
印象に残ったショットをインスタにあげたり
という程度にネットとのおつきあいを薄め
少し遠いところから、溢れる情報とコメントを眺めて思ったのは

気持ちに余裕があればいいのにな

ということ。
私だけじゃなくて、すべての人に、です。
世の中にはいろんな意見があります。ひとつの出来事に対して、100人いれば100様の感じ方があります。そんなことわかっているはずなのに、余裕がないと「自分と違う」ことにイラッと過剰反応してしまう。

たとえば、昨日のサッカーW杯。
最後の10分はみっともないと恥じる人、怒る人もいれば
ルールの範囲だから問題ないとクールな人もいるし
決勝トーナメントに行くことがすべてだと言い切る人もいる。
どの答えも、それでいい はずなんですが
なぜかネット上に晒されることで、どれが正しいか!?
みたいな論争になってしまうようですね。

昔は、これほどまでに自分と差異がある(考え方、感じ方だけじゃなく
働き方、生活レベル、恋愛観、倫理観etc.について)人がいることを
いい感じで知らずに生きていくことができたのに
今は、知りたくないことまでアンテナにかかってしまいます。

そして、経済状態が安定していて、治安もしっかりしていて
普通にしていれば、大きな災難に巻き込まれる心配がなかった時代なら
ちょっと不安な情報や、劣等感を感じる差異に触れても反応せずにすんだものが
いまの日本の窮屈な空気のもとでは
「あいつのせいで」「自分だけが損してる」「頑張ってもムダ」「死にたい」
といった自暴自棄な反応を引き起こしやすくなっているのかもしれないなぁ
と切なくなりました。

でも、もうブログを止めよう とは思いませんでした。
誰かの考えについてどうこう思い巡らせて書くのではなく
まっすぐに、「私はこう感じた。だから、こんな行動をした」と書けばいいのだし
それについて誰かが否定的な感想を持ったとしても、
「そりゃ、そうだ。みんな考え方は違うもんね」と差異を受け止める余裕を
私の中に育んでいくことこそが、生きていくってことなんだよなと
(なかば開き直りですが)考えたからです。

願わくば、ひとりでも多くの人(もちろん私自身も含めて)が、
他人との差異に出くわしたときに、静かに受け止める余裕が持てる世の中になりますように。

継続が悪のサイクルになるとき

ふと、昭和と平成のどちらを長く生きているのだろうか? と思い、いつのまにやら平成のほうが長くなっていることに気がつきました。
とはいえ、やっぱり私のメンタリティは、基本的には「昭和っぽい」し、「バブル臭」がするのではないかとも自覚しています。

ですから、「女が社会に出るなんて」てな態度にはカチンとしても、
職人さんが「自分たちが若い頃は、見て盗んだもんですが、いまは手とり足とりで」と嘆かれると、あぁ、わかると感じることが多いわけです。

ただ最近、世界的に活躍するスポーツ選手や、将棋の藤井さんのように国内でも規格外の偉業をさらっとやってのける若い人たちを見ているうちに、日本人が美徳としていた「耐える」「苦労する」「謙遜する」etc. というメンタリティを、次世代につないでいく必要はないんだなと思うようになりました。

大好きなことに打ち込み、高い目標を達成するために努力はしても、自分を押し殺すように耐え忍ぶことはないし、技術を身につけるのに見て盗むなんて遠回りなことをしなくても、うまい人にコツを教えてもらってショートカットすればいいし、実力があるのに「いえ、まだまだです」と言い続けるより、「世界一になります」と宣言してしまったほうが、本人もまわりもシアワセになれるんじゃないかなぁと。

ところが人間ってのは困ったもので、「自分がしてきた苦労」を誰かに押し付けてしまうクセがあるようで・・・。
昨年、久しぶりに就職した会社の上司から、「私もあなたと同じ転職者だけど、入社したばかりのときは、●●さんにいじわるされたし、なかなか思うように働けなかった。ようやくつい最近ですよ、やりたいことができるようになったのは。だから今は我慢して」と言われてしまい唖然としました。

なんだぁ?この
--虐待された人が親になって虐待する
--いじめにあった子が別の子をいじめて憂さ晴らしする
みたいな 空気は。

そんな場所から脱出し、気を落ちつかせて周りを見直してみると、
雰囲気のいい組織やチーム、家族やサークルは
「恨み」は忘れて、相手から静かに遠ざかり
「恩」は 相手に感謝を返して、次に送る(つなぐ)

というふるまいで、悪循環を断ち、好循環をつくっていました。
何かうまくいっていないところは逆のことをするから、
常に誰かが我慢を強いられたり、自由に意見が出せない空気になったり、手柄を独り占めする人のところで喜びが滞ったりしているのです。

当然といえば当然の流れなんですが、「長く続けることがいいこと」と思いがちな日本人である私たち(とくに、私のような「昭和っぽい」タイプ)は、悪い循環に巻き込まれ、自分もそっちに力を貸している恐れアリ! だと思います。

でも、せっかく気がつくことが出来たのですから、これからは好いほうのサイクルをまわしていきたいものです。

資格がいるとき、いらんとき

私は、運転免許(完全なペーパーですが)以外にも、いくつかの資格を持っています。

国家資格は、栄養士と情報処理技術者(シスアド)。
民間資格は、アスリートフードマイスター、ビジネスコンプライアンス検定。
英検は3級、TOEICは700点台です。
あ、忘れてた。証券外務員! 1種・2種両方とったのでした。

で、就活中の学生さんやら、独立志望のOLさんやら、再就職希望のママさんたちから質問されるのが、「どの資格が役に立ちますか」とか「仕事を得るには、何をとっておくのがいいですか」といったこと。
最近の学生さんは、「いくつ持っていればいいでしょう」と深刻そうな顔できいてくることも。

まぁ、たしかに、新卒採用をするときに「選べる立場」にある企業なら、合否のボーダーライン上にいる学生さんたちをふるいにかける目安として、資格の有無や酒類、ときにはその数を意識することがあるかもしれません。でも、ほとんどの場合は、「そんなの関係ない」というのが現実のように思います。

さっきまで忘れていた証券外務員資格だって、就職してから必要に迫られてとっただけです。宅建とかツアコンの類も後から取る人が多いのではないでしょうか。それでいいんです。医師・弁護士の類は、取らないことには話になりませんが例外です。

ましてや、「独立」志望の人なら、資格より実務経験を優先して!
と叫びたい。
いま、それっぽい資格がいろいろあります(私が持っている中では、アスリートフードマイスター)が、それをとったから仕事が得られるわけではありません。活躍している一部の人をメディアが紹介するから、勘違いして資格を取ろうとする人が多いですが、胴元(資格試験をやっているところ)が儲かるだけで、資格取得者は取得後に自分でさらに頑張らないとダメなんです。

何を頑張らないといけないか というと、差別化です。ブランディングです。
「私は、ほかの人にはできないことができますよ~」
というアピールをしなければ、誰からも指名されません。それが、待っていれば仕事がふってくる会社員との大きな違い。

そして、もうお気づきの方もいるかと思いますが、資格を取るということは、「ある基準に照らして、私と同じレベルで仕事を出来る人が大勢いて、この資格名を冠につけています」という表明にほかなりません。

差別化と真逆 なのです(なんとも残念)。

ですから、資格を看板にブランディングをするためには、
「自分と同じレベルでこれを出来る人はほかにもいますが」という前提で、
「ただし、この部分に関しては、私にしかできません!」みたいなことを主張することが肝なんです。

栄養士なんか、腐るほどいるうえに、どんどん数が増えていきます(養成校は多いですよねぇ)。
こんな暗~~~い記事も出てました。

国家資格なのに稼げない!脱落者続出「管理栄養士」の受難
(ダイヤモンドオンライン)

栄養価計算できます という人がほとんどなので、「実際に美味しい料理がつくれます」とか、「メーカーの商材に応じたレシピ作成ができます」とか「自分の体を実験台にして、●●に効くメニューの提案をしています」なんて人に仕事が舞いこんできます。

私なんて、ライターという資格不要の職業を選んだおかげで、逆に「ライターなのに、ちゃんとした資格を持ってるんだ」と珍しがられたり、理系出身、金融出身であるというルーツのマイナーさを重宝がられたりして、27歳でデビューという遅れを取り戻すことができました。
何かで読んだか、誰かに励まされたか忘れちゃったんですが

風が逆風なら、反対を向けばいい

要するに考え方ひとつで、風はフォローにもアウェイにもなるってこと!

悩んでいるときこそ、視点を変えてみれば、
「いまのままで出来ること」
が、いろいろみつかると思います。

 

男女差をうまく使えないか?

今日は、私が「若い女性」であることを武器にしていたときの話。

ここのところ、セクハラだ女性問題だと、そんなニュースばっかりです。
不倫騒動が少し落ち着いたかと思っていたのですが、人間のトラブルって男女関係か金銭のもつれ・・・みたいなのに終始していくものなのかもしれません。

男尊女卑はいやだけど、男女差があるのは当たり前だし、
違いがあるからこそ、良いパートナーに恵まれれば助け合って生きていけるって可能性も感じます(私生活で試したことないですが:苦)
仕事においても、男女差をうまく使えるシチュエーションはありそうです。

私がそれを最初に知ったのは、大学4回生の就活中のことでした。
内定者だけが集められて配属先を決める面接があったとき
当時の支店長で若き役員だったTさんという方が、
「これからは、女性を外交に出そう。男より頼りになる!」と言って、本当に私を含む新人女性3人を、会社の歴史上初めて法人マン(ウーマン、か)に抜擢したのでした。

彼が私たちに期待したのは、初回訪問の突破力と、その後のリレーションシップマネジメントにおける粘り強さと丁寧さ、でした。
もちろん、すべての女性がコツコツ粘るわけじゃないですが、相対的に見れば男性より「長丁場」に強い傾向があるのは確かでしょう。当時のIPOは、いまよりもっと時間のかかる道程だったので、幹事証券としての信頼を勝ち取るために、男性の瞬発力だけでなく女性の持久力に期待をかけた、というわけです。

実際、経済知識に関しては部内で間違いなく最低レベルであった私ですが、初めて訪問した会社で「中に通してもらう」ことに関しては、かなりのハイアベレージを誇っていました。

女性外交員なんて珍しいな。どんな子だろう? という好奇心
こいつなら、押し売りもしないだろうし、すぐに追い返せる という油断
若い女の子だし、休憩を兼ねてお茶飲んでしゃべってやるか という男心

・・・そのへんをくすぐれば、切れ者の男性社員よりもファーストコンタクトをとるのは簡単だったのです。
もちろん、その後に信頼してもらう(会社のお金を任せてもらうレベルの信頼って、普通にモノを買ってもらうより大変だということは、もっと後になってからわかりました)には、いろいろと努力が必要ですが、そこでもやはり先輩の男性社員のやり方を見習いつつも、女性らしいきめ細やかな情報提供やフォローができないかと工夫したものです。

たぶん、平成初期の証券会社なんて、めちゃくちゃ男性上位でしたし、私が最終的に退職を決断したのも、「女性は頑張っても上にはいけない」という諦めが最大の要因でしたが、一時の気まぐれにしろ、ちょっとした思いつきにしろ、「女性に任せてみたい」と感じ、英断し、実行してくれたTさんには感謝していますし、すごい方だったなと思います(ちなみにTさんはその後、早期退職して本を著したりとご活躍のようでした)。

この外交経験は、フリーになってからの営業力や、記者としてのインタビュー力のベースになりました。「女を使う」と言うと悪い意味にとられがちですが、女性らしさは強みになりますし、まだまだ男性社会の世の中で決裁権を持つ男性に敵視されにくいポジションをとれることは、女性の特権だと確信しています。

そして、「若い」女性でなくなった今は、さらに伸び伸びと女性力を発揮できるようになりました。「媚びてる」とか「できてる」とか、言われなくなりますからね(笑)。
仕事のシーンで使える「女」っていうのは、“お母ちゃん力”や“娘力”なのかもしれません。「おかんの言うことには逆らえないな」とか「娘のためなら、ひと肌ぬぐか・・・」とか、そんな風に思ってくれる男性は、セクハラとは無縁だし、女性活躍をバックアップしてくれるような気がします。

前のめりの30代を過ごして

無職になって幸せなのは、何をするにも時間の制約がないことです。
とくに、仕事帰りには行きにくかった図書館には、買物のついでやランニングの後などに、ふら~りと立ち寄るようになり、くつろぎながらインプットできるひとときとなっています(一年前までは当たり前のことで、これが幸せだなんて気づいていなかった・・・)。

借りていた本を返し、予約していた本をもらい
新聞や雑誌の最新号をチェックして
「帰ってきた本」を物色します。
他人様が、どんなことに興味を持っているかを知るのが面白いし、私も好きな作家さんの本がまとめて返却されているラッキーに巡り合えることもあるし、「帰ってきた本」は宝の山!!

日本作家の本の並びに、有川浩さんのエッセイ「倒れるときは前のめり」がありました。この本は、出版直後に面出しで並んでいるときにジュンク堂で見かけ、「有川さんって、私みたいな性格なのかしら???」と思って手にとったものです。

というのも、30代前半の「趣味=仕事」状態だった頃、日経某誌の副編集長の方から原稿依頼をいただき、「いつもの服部さんらしい、ちょっと前のめりな感じのトーンでお願いします」と言われたことがありまして。

私って、「いつも」「ちょっと前のめり」な文章を書いていたのかー?

と、ビックリしました。その雑誌は、雇用機会均等法ができたときに創刊され、当時は(今もかなぁ)働く女性のバイブル的な存在だったので、読者層もキャリア志向の強い女性たちです。私からすれば、読者の皆さんのほうが、よほど前のめり・・・ましてや副編集をや! って感じだったのですが、編集さんの評価を聞けることってそんなにないので、ありがたく受け止め、心に留めたのでした。

それから数年後、別の雑誌で詩人が開催しているセミナーのレポートを書かせていただいたとき、その詩人の女性が「久しぶりに、赤い原稿を読ませていただきました。ありがとうございました」とゲラチェックを戻してくださり、

赤いのか・・・私の文章。で、赤いって?

と、またまたドキリとさせられました。
さすが詩人ですよね。ステキな原稿とか、うまくまとめてくださって、みたいな常套句は使わずに、どう受け止めたかを伝えてくださるのですから。灰色とかじゃないので、おそらくはポジティブな感想であったと信じています。そして、青でもない、黄色でもない、ピンクでもクリーム色でもない。赤かったのです。当時の私の文章は。

ただ、作文や感想文が好きだった学生が、プロライターいなってから苦労したのは、我を控えて媒体に合わせるということでした。が、それでも個性は出てしまうし、出ているからこそ、大勢の中から指名してもらえるのでしょう。
30代の私は、起業家や上昇志向の強い学生、会社員、先生たちを取材することがほとんどで、皆さんの言葉に刺激を受け、自分自身も起業家でありたいと思い、切磋琢磨で競い合い、磨き合い、登りつめていくのだ~~と思っていました。

いま振り返ると、若いし、パワフルだし、うらやましいところもあるんだけど、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないの? とも感じます。

そんな前傾姿勢で倒れる寸前まで頑張って飛距離を伸ばして来た30代があったからこそ、40代に違うやり方を試すことができるし、若い頃の自分のような人を応援することもできるような気がしています。

有川さんのエッセイを読みながら、今の私には、もう「前のめり」で「赤い」文章は書けないけれど、前傾姿勢のままでは見落としていたであろう足元の小さなことを見直していきたいですね。

「ライターに戻らないの?」と、しばしば質問されるのですが、書くことは(こうしてブログも再開しましたし)続けるけれど、“前にやっていたような”職業ライターには戻らないつもりです。就職先でも、「ライター=プレスリリースがさくさく書ける人」みたいな解釈しかされず、自尊心が傷ついてしまいました。自分のアピール不足を呪います。

書くというスキルは、もっと活用できるんです。なめんなよ!

これからは、もっと自信をもって使っていきます。

 

パスがあってのシュートです

オリンピックで活躍したカーリング女子の選手たちが、帰国後に複合ダブルスでも功績をおさめて、さらに人気上昇↑↑のようですね。
チーム戦とは役割分担がガラリと変わるわけですが、自分の持ち味を生かし、仲間の持ち味も引き出すという姿勢を貫き、失敗しても励まし合って頑張っている様子(常にスマイルを忘れずに!)は、(´~`)モグモグTIMEに負けないくらい、私の気持ちをアゲてくれました。

個人で仕事をしていると、まずは自分のスキルを磨きあげることに集中しがちです。必要なことだし、優先すべきことだとも思っていますが、どんなプロジェクトであれ、一人で仕事が完結することはないので(作ったものが飛ぶように売れるアーティストみたいな人なら別かもしれませんけど・・・それでも、「売ってくれる人」などと支え合っているところはあると思います)、相手を知ることも大切。

組織においては、なおさら重要なわけで。
いまだに私がしばしば思い出すのは、証券時代の上司が私に出してくれていた「パス」についてです。
最初に「あれっ?」と気づいたのは、コピーを頼まれたときでした。
私は部内で年次が一番下だったので、いわゆる雑務全般を任されていました。その日も、上司が会議資料のコピーをしてほしいと声をかけてきたので、その人のデスクまでとりにいくと、
「君は出ない会議だけど、とても大事なことを話すから。ゆっくりコピーをとってくれる。ゆっくり」
と言うのです。

わかりました。と答えて、すぐにコピー機のところに向かいましたが、何とも言えない違和感があり、20セットほど帳合をかける間、ぼんやりと上司の言葉を思い出していました。

なんで、「ゆっくり」って2回も言うの? 前のとき、雑だったかな。

自動帳合でホッチキスまで打ってくれるマシンなので(さすが大企業!)作業はすぐに終わってしまいました。「ゆっくり」できなかったけど・・・と考えながら、原稿を取り出してコピー台の上にのせたとき、私は初めて、その書類の内容を見たのです。確かに重要そうな議題がずらりと並んでいて、次長クラス以上しか参加できない会議であることも納得です。

この会議で練ったことが部会で出てきたら、また忙しくなりそう。

などなど、いつのまにか頭の中がグルグルしてきて、「あ、はやく原稿返さないと」と思った直後、私は「ゆっくり」でよかったことに気が付いたのです。

中身を読めるように、「ゆっくり」って言ったんだ!!!!!

しばし内容を吟味させていただき、必要なことをメモにとってから原稿を返しに行くと、上司は私にお礼と確認を言いました。
「ありがとう。ゆっくりとってくれたか?」
「はい。ちゃんと、ゆっくりとりました。ありがとうございました」
「そりゃ、よかった(笑顔)」

その後も彼からは、何度か「ゆっくり」付きの業務があり、私は自分の職掌では得られない情報を早めにキャッチすることができました。
ほかにも、自分の同期(は、それなりのポジションになっている)や同窓(有名大学)の名前を挙げて、「書類持っていってくれ」「これ、質問してきてくれ」と使いに出しては、私に社内ネットワークを広げるパスを出し続けてくれたのです。

女子大出身の私には、管理職になっている上司などいるわけがありません(今は、かなり変わったみたです)。どんなに業務を頑張っても男性社員とは同等に扱われないと涙する先輩の姿を何度も見てきました。
あれから20年以上たった今でも、まだまだ日本社会は男女格差が大きいなとは思いますが、あのときの上司のようにパスをくれる人が増えていけば、モチベーションを保ちながら、力を発揮できる人は増えると思います。

ただ残念なのは、他人に良いパスを出せる人というのは、そんなに多くありません。いかに定年までを穏便に過ごすか、という保守的な気持ちになると、パスを出すどころか、こぼれ球を拾い集めて保持することが“正解”になってしまいます。誰もシュートできない状態に陥るのですが、それでいいんでしょうか。

それなりの年次・ポジションを得てなお、パスを出さずに球を集めている人を見ると悲しい気分になりますが、それが今の日本のマジョリティかも。
私に出来ることは、パスをもらえる喜びを知っている自分を誇りに思うこと。そして、結果を恐れずシュートをうつか、次の誰かにさらなるパスを繰り出すか、そんなプレーヤーでありたいです。

言葉が通じるとラクに働ける

英語や中国語ができるか、とか
そういう話ではありません。

極端に言えば、英語が全然できない(お勉強という意味で)人でも、条件が整えば外資系でのびのび働けちゃうというケースは、想像しているより多いのではないでしょうか。

つまり、文化というか空気というか、バイブス(でしたっけ?ちょっと前に若い人たちが使っていた単語だと)が合う場所に身を置くことが、自分が持っている力を発揮するベースになると思うのです。
(逆にいうと、それが合わない職場で「すきめし」は難しそう・・・)

人によって程度の差はあると思うし、もしかしたら、男女の性差もあるのでしょうが、私は「言葉」に敏感なタイプなので、「同じ単語なのに解釈が違う」タイプの人と仕事をするのがストレスフルです。

「何か、新しいことをしよう」
「広報に力を入れたい」
「変わったアイデアはないのか」
「やり甲斐のあるポジションを与える」

こういったセリフは、あらゆる職場で交わされているはずですが、その真意を語り合ってみると(語り合うことなく過ごしている職場のほうが多いかもしれないですねぇ)、「え! 全然、別のゴールを目指していたんだ」という驚きの事実を突きつけられることも。

なぜなら、

新しいこと
広報
変わった
やり甲斐

といった単語の定義が、人によって違うからです。
もちろん、「ぴったり同じ」なんて人たちはいませんが、まぁまぁ近いことが頭に浮かんでいる人となら、こんな漠然とした言い方でもゴールのイメージを共有できるので、一緒に努力することができます。

私の経験の中でいうと、
・大企業は、採用の段階でもともと言葉の解釈が近い人を選ぶことができる
・ベンチャー企業や個人事業系の小オフィスは、創業者の解釈に惚れ込んだ人しか入社してこない
・業務委託などで構成されるプロジェクトは、もともとある個々の解釈が違っても、プロジェクト自体の目的が明確なので、解釈を合わせようとする

といったことで、言葉が通じる職場 になる可能性が高いかなと思います。

もし、周りの人と言葉が通じていないかも? と思ったら、
ありふれた言葉(とくに名詞)だけに頼るのを辞めて、具体的な行動が見えてくるような言い方をする(動詞や形容詞なども使って)といいんじゃないかと思います。

たとえば、「やり甲斐のある仕事」について、
ある上司は寝食を忘れるくらい、残業も休日出勤も苦にならないくらい時間と労力をかけられて、やればやるほどのめり込む仕事 だと考えていたようですし、別の上司は、経営幹部に認められ、評価や処遇がよくなる仕事だと考えていたようです。
そのいずれも、私が思う「やり甲斐のある仕事」の定義からはズレていましたから、上司から私に与えられるミッションは、苦痛でした。

そんなわけで、ズレてるなぁと感じたら、
言葉の定義が違っていることを確認し、お互いに修正する時間を持つことが大前提なのでしょうが、私はこのチャンスをもらえず失敗しちゃいました。

みなさんは、気を付けてくださいね。

「鶴の一声」は吉か凶か?!

証券会社で外回りをしていたとき、私のお客様は「個人」ではなく「法人」でした。大企業の資本が入っているグループ会社・子会社が主でしたので、社長さんたちは、「親会社からの出向・転籍組」もしくは「創業者かその血縁者」であることが多かったように思います。

法人としてのお取引に「YES」を言ってもらうためには、決裁権を持つ人が誰なのかを見極め、その人を口説き落とすのが早道でした。これは、どんな時代でも変わらない原理原則じゃないかなぁ。

で、いわゆる「鶴の一声」で決まることが多いのは、「創業者かその血縁者」が社長である、いわゆるオーナー系企業のほうでした。
稟議書にハンコを押して、順番に上げていく・・・という組織に比べると、即断即決! で、結論が早いイメージがあるでしょ? それは、その通りだと思います。

ただし・・・
法人外交時代を思い出してみると、また、オーナー系中小企業の社員を経験してみると、「鶴の一声」には良い面と悪い面の両方があるということにも気づきました。

「鶴」である人の状況判断力が高く、ここぞ!というタイミングでリスクを恐れずに決済できる人なら、(とくに中小企業の場合は、小回りのきく機動力を生かして)新しいことをグググッと推し進める可能性があります。

しかし私のいた会社では、「鶴の一声」が、肝心かなめのときだけでなく、週に2回も3回も発令される・・・つまり、コロコロと方針が変わり、社員たちがそれに翻弄されていました。戦略というより戦術のレベルで、細かい変更が繰り返され、社内調整が終わる頃には担当者がぐったりしている姿を何度も見かけました。残念。

そうかと思えば、リスクを取れずに決断が遅れることもありました。設備投資や雇用を増やすタイミングを見誤り、大きな販売チャンスが来たときに対応できない、とかね(苦笑)。

意外に感じるかもしれませんが、資本力のある大企業のほうが、「ちょっとくらい失敗しても、経営が傾くわけじゃない」という余裕があるため、中小オーナーよりも軽やかに“英断”を下すことができるのかもしれません。

社員としてやっていくなら(あるいは、取引先としてうまく立ち回るときも)、「鶴の一声」をうまいタイミグで発令させたり、ときには聞くふりをして聞き流したり、といった処世術を身に付けないとダメなのかも。

私には、そのへんの才能、あまりないみたいです。

大企業と中小企業、ココが違った

時代背景も私の就業年齢も違うので単純比較はできないと思いますが、社員数1万人超の大企業と500人に満たない中小企業の両方で働いてみると、“社員教育”と“福利厚生”に大きな差があることを実感しました。

もちろん、どっちも「あって当然」とわかっていたんです。資金的な余裕が違うわけですしね。でも、とくに社員教育については、単に「外部講師が来てパソコンスキルを教えてくれる」とか、そういうことだけじゃなくて・・・。職場にいて日々を過ごしているうちに学べること、身に付けられること--すなわち、人事が計画して与える教育以外のことが、大企業と中小企業とでは、ものすごく違っていたんです。

まず一番に感じたのは
「OJTのバリエーションが違う」ということ。

組織が小さいと、上司・先輩の数も少なくなります。
私は新人のときに外回りをしていましたが、女性の先輩2人が教育係につく以外に男性の先輩3人と、もっと上の上司数名が、かわるがわる同伴外交に連れていってくれました。それぞれ、個性も経験もまるで違う人たちです。もちろん、新人の立場で真似できることは限られていました、「こんなやり方もアリなんだ!」と感じられることが、後に自分の商談スタイルをつくるうえで、とても役にたった気がしています。

社交的で、しゃべりがうまく、たまに高学歴をちらつかせるAさんもいれば、朴訥で不器用ながら常に相手の立場にたって丁寧に説明ができるBさんもいる。さらに、まだまだ経験は浅いけれど最新のデータが常に頭に入っていて、それが年配の経営者に「若いのに頑張っている」と認められているCさんもいました。
どの人も、会社の看板を背負って経営者の信頼を得るという目的は同じでしたが、アプローチの方法はそれぞれの個性を生かしたやり方をしていました。そして、「最初は誰かのマネをしてみてもいいけど、少しずつ自分らしいやり方をみつけてね」と励ましてくれていました。新人に法人営業を任せるなんて大胆ですが、私ごときが小さな失敗をしても大勢に影響がないという余裕もあったのでしょう。

残念ながら、中小企業では多くても上司・先輩の2人くらいの事例に触れるのが精一杯だと想像します。私のいた会社もそうでした。自分と相性のいい人に当たればラッキーですが、まるで違うタイプの上に、合わないやり方を押し付けられたら最悪です。しかもそれが「この会社のやり方だから!」と言われてしまったら、新人は抗う術を持ちません。それに、どうしても失敗させたくないという警戒心が強くなり「なかなか、独りで営業に行かせてもらえないんです」と新人女子が嘆いていました。

小さい会社のほうが、自分らしい仕事ができる
・・・若い頃は、私もそんな風に考えていましたが、真実は意外と逆の傾向が強いかもしれません。実は就活中に、某中小証券のリクルーターさんから、「悪いことは言わないから、両方から内定が出たら、うちは蹴って、大手にしとき! 大きい組織のほうが、大きい仕事ができるんだよ。入ってみればわかるから」とアドバイスされましたっけ。私も業界に入ってみて、よくわかりました。

社員になったら、その会社に回ってきた仕事の中からしか、仕事を選べないのです。
つまり、会社が小さなことしかできないとしたら、どんなに個人で力をつけても、発揮できる場がないのです。

大企業と中小企業の違いは、まだまだ他にもありますが、今日のところはこのへんで。

会社員、やめました。

2月末日をもって、勤めていた会社を退職しました。

「え? 会社員だっけ?」

と驚いている人もいるかもしれませんね。
実は、昨年の今頃に急なお話があり、とある食品メーカーの正社員になったのです。そのときの経緯は、また追って・・・。

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思えば、大学を卒業してから、

大企業の正社員→Web制作会社に居候
→自宅で個人事業(ライター&Web企画)
→市役所の外郭団体で広報スタッフ(業務委託)
→株式会社代表(休眠会社をおこした)
→ふたたび、自宅で個人事業(ライター)
→小さなデザイン会社でディレクター(外面は社員、実質は業務委託)
→個人事業しながら非営利団体代表
→中小企業(オーナー系)正社員
→さぁ、どうする?(←イマココ)

とまぁ、紆余曲折だらけなわけです。

こんなキャリアの私ですから、
最終出勤日を終えて有給休暇を消化しながら
のんびりとテレビで「働き方改革」について
エライ人たちが揉めている様子を見聞きしていると

「あんたら、やったことないくせに~」

ってね、思っています。

それぞれに、いろいろと・・・一長一短がありまして
私と同じように体験してみてと、皆さんにおすすめしたりはできませんが
たまに大学の講義といった機会をいただくと、
きまって学生さんから

「どれが良かったですか?」

と質問されるので、
人それぞれにシミュレーションしてもらうための
ヒントになるようなことを、ブログに書いてのこそうかなと思っています。

自分史、というわけじゃないから、順不同で思いつくまま綴ります。