すっかり更新が滞ってしまいました。
単に私がサボりなことが最大の原因ですが、
外部環境に左右されたところもあります。

殺伐とした事件が多く
その事件に対する意見がネット上に溢れだし
その意見に対する異論反論がヒートアップして
ポストした人もコメントした人も読んでいるだけの人も
傷ついたりモヤッとしたり・・・。

そういう空気がしんどくなって
自分の思いを書くのをやめていました。

閉じた空間であるfacebookに日常の出来事を書き留めたり
よくぞ言ってくれました!というコメントをTwitterで拡散したり
印象に残ったショットをインスタにあげたり
という程度にネットとのおつきあいを薄め
少し遠いところから、溢れる情報とコメントを眺めて思ったのは

気持ちに余裕があればいいのにな

ということ。
私だけじゃなくて、すべての人に、です。
世の中にはいろんな意見があります。ひとつの出来事に対して、100人いれば100様の感じ方があります。そんなことわかっているはずなのに、余裕がないと「自分と違う」ことにイラッと過剰反応してしまう。

たとえば、昨日のサッカーW杯。
最後の10分はみっともないと恥じる人、怒る人もいれば
ルールの範囲だから問題ないとクールな人もいるし
決勝トーナメントに行くことがすべてだと言い切る人もいる。
どの答えも、それでいい はずなんですが
なぜかネット上に晒されることで、どれが正しいか!?
みたいな論争になってしまうようですね。

昔は、これほどまでに自分と差異がある(考え方、感じ方だけじゃなく
働き方、生活レベル、恋愛観、倫理観etc.について)人がいることを
いい感じで知らずに生きていくことができたのに
今は、知りたくないことまでアンテナにかかってしまいます。

そして、経済状態が安定していて、治安もしっかりしていて
普通にしていれば、大きな災難に巻き込まれる心配がなかった時代なら
ちょっと不安な情報や、劣等感を感じる差異に触れても反応せずにすんだものが
いまの日本の窮屈な空気のもとでは
「あいつのせいで」「自分だけが損してる」「頑張ってもムダ」「死にたい」
といった自暴自棄な反応を引き起こしやすくなっているのかもしれないなぁ
と切なくなりました。

でも、もうブログを止めよう とは思いませんでした。
誰かの考えについてどうこう思い巡らせて書くのではなく
まっすぐに、「私はこう感じた。だから、こんな行動をした」と書けばいいのだし
それについて誰かが否定的な感想を持ったとしても、
「そりゃ、そうだ。みんな考え方は違うもんね」と差異を受け止める余裕を
私の中に育んでいくことこそが、生きていくってことなんだよなと
(なかば開き直りですが)考えたからです。

願わくば、ひとりでも多くの人(もちろん私自身も含めて)が、
他人との差異に出くわしたときに、静かに受け止める余裕が持てる世の中になりますように。