たまたま読み直していたマンガの中に、「Twitter」を説明する箇所が出てきました。もちろん、いまなら説明不要の単語だと思いますし、「ミニブログ」って…そっちのほうが、わかりにくいのでは? とすら思うのですが、発行年を見ると2010年。9年たつと、こんなに感覚がズレてくるものかと驚きというか、ちょっと感心してしまいました。
ちなみに、同じ本の中にで紹介されている「最近、はやりのマンガ」は「テルマエ・ロマエ」でした。なるほど~なんとなく、その時代の記憶が蘇ってきます。

 こうやって、当たり前に定着する言葉がある一方で、単語としては同じでも、その意味が変わってしまうものもあります。
わかりやすい例をあげると「やばい」。最近では、肯定的なもの(すごく美味しい料理とか、すごくカッコいい人とか、素晴らしい演技をした選手など)に対して使うようになり、悪いニュアンスが薄れていますよね。

 失言続きの大臣が辞職しましたが、ずっと前にも、スポーツ選手に対して「せいぜい頑張ってください」と言って叩かれた政治家がいました。改めて辞書を引くと、その政治家さんが若かった頃には、「じゅうぶんに」という意味の単語としても頻繁に使われていたのでしょうが、当時の人たちにとっては「なんだよ、期待してないのか?」「見下してるな!」てなふうに受け止められてしまったのでした。ちょっとお気の毒だったなと、個人的には思いました。

 一方で、まったく新しい言い回しが出てくると、もうシニア層に突入した私にとっては、「なにそれ?」「初耳だ」というものも多くて、文筆業でやっていくことに、少々不安を感じるほどです。だって、すごいペースで誕生していませんか? >新語  流行語大賞の授賞式がテレビなどで流れているのを見ると、だんだん理解しきれない言葉が増えてきたなと思うのです。ほんと。
 「映(ば)える」なんかは、なかば無理矢理使ってますが(苦笑)、「エモい」とか「じわる」とか、意味はわかっても、自発的に発することはありません。これが普通になっていくのでしょうか。

 自分が使うか使わないかに関係なく、人によって語彙のバリエーションは違うので、同じように感じてもアウトプットはズレるだろうし、逆に同じ言い回しでも本当に感じ考えていることは違う可能性があるとわきまえておくことが、他人と関わる作法なのかもしれません。
 インタビューをするときも、そのあたりを意識して聞き直すよう心がけています。とくに、 ご本人の「語り口調」でまとめるときは、ライターである私の解釈や感覚で、インタビュイーの言葉を台無しにしないように、と。
  つい先日、あるお医者さんに趣味で続けておられる絵画の話をうかがっていたとき、「心が動かないと、描き始められない」と言われて、“心が動く”がどうういう意味なのか、質問のたびに単語を替えてニュアンスを正確につかもうと粘りました。
 美しいものを見て感激した? 絵になりそうな構図をみつけてピンと来た? 仕事の気分転換をしたい? 誰かに褒められてモチベーションが上がった? …等々。そして、「気が乗らないときもありますよね」と私が言った次の瞬間、先生が「そう、それ。心が動くというのは、気が乗ったときです!」とおっしゃったのでした。
 私が表現探しで質問を繰り返していたのが、バレていたようで恥ずかしかったですが、少しは真実に近づけたかなと、嬉しくもありました。事実関係を正確に淡々と書くときには必要のないプロセスですが、これがあるからこそ、人物インタビューは面白いのだと思うし、私にとっては「生みの愉しみ」です。